昭和48年01月20日 池田浩之乃霊神20年祭
今日の御霊様のお祭りに、私は奉仕をさせて頂くのに、今日の御霊様に対して、一つの情感というものも湧かない。ここで御霊様のお祭りを沢山仕えますけれども、大概はここ、私二十年間の御用をさせて頂いておる間に、知っておったり又色々の関わり合いがある御霊さん達ですから。通じるところも何とはなしに、心から例えばお酒の好きな人に、ほんにあの人は、お酒が好きじゃったから、お神酒のお供えをさせて頂くと、それだけででも、こう思いが通うんですけれども。
何とはなしにそういう情感がないがと、私御神前で思わせて頂いたら、もう昨日から今日、ただ今のお祭りを奉仕させて頂くまでの間の、素晴らしい一つのタイミングというかね、お繰り合わせの事をずっと頂くんですよ。そういう働きの中にこのお祭りがあるのだと言う事を頂かせて、例えば昨日から花壺。あれをもう以前に頂いておりました。まぁ使った事が無かった。あれはうんすけ。大体花壺じゃないですけれども。
あれにお花を入れたいから、あれを洗っておけて私愛子にそう言うて。けどこんな大きなものやら花がありばしするごと、どうしなさるですかて言いよったけれども、ちゃんと用意が出来ておって今日はあの沢山の花が参りましてから、あれで中々いいお花がね、あぁしてお供えが出来るように。もうその間の今日は、久富先生とまぁ本当に今日は朝から沢山のお参りもあったが、その間に今日は福岡の安東さんの所が、田主丸に今度工場が出来ます。それの地鎮祭があるというので先生方二人、あちらへ行きます。
若先生は今日は教師会で、小郡の方へ行っとります。いうなら楽員先生方、十名あまりの先生方をもう一糸乱れず、神様のこのお使い回しの具合というものがね、誰がおらんから、一つ困るなぁと言う様な所もなしに、もう本当にそのお使い回しの具合というか、本当に神様の働きもさる事ながら、今日のお祭りを受けられる御霊様達の、生き生きとした喜びをその様な風にして現わして下さるんだと。
丁度二時のお祭りだった。準備が出来ておりましたけれど。御結果に代わるのが、直子先生がなんかぐずぐずしとりますもんですから、どうしとるか何時まっでんでんち、言いよるうちに時間がちょっと過ぎましたら、恵美子さんがこうやってね丁度間に合われてから。そのぐずぐずも時間がかかる事の中にまで、神様のこういう働きを頂いておるのかと思うたらもう情感どころか、もうそれ以上の有り難い思いが湧いてきてね、有り難いお祭りを奉仕させて頂く事が出来た。
本当に四神様のみ教えの中に、「形に見える所ばかりを大切にして、目に見えない所を、疎かに致します」というお言葉がありますが、信心させて頂いておると、本当に目に見える所より目に見えない所。取分け御霊様などというのは、御霊の世界があるやらないやら、御霊様が生き生きとした働きとか活動があっておるやら、ないやら分からんといや分からんのである。
けれども日頃の信心が、この様な形に現されて目に見えない所を大事にさせて貰うと言う所にです。もうそれこそ神饌物一つひとつの上にまで、思いが込められておるという様なおかげが頂けれると言う事は、信心させて頂いておるおかげだと。本当に四神様のお言葉じゃないけれども、目に見える所より目に見えない所を大事にさせて頂いて、この様なお祭りが奉仕出来ると言う事は、本当に遺族の者に信心があるからだねと言うて、久富先生とさっきから話した事でした。もう本当に愈々おかげを頂かなかれば。
今日は又御霊様に対するご理解。例えば仏教あたりではこうした、ご法事ならご法事をすると三部経というて、長い長いお経文を上げる事が、しきたりになってるそうですが。経文というのはまぁいうならばご理解である。そのみ教えを長々と上げられる訳ですけれども。お道では形式は是だけの事ですけれども、御霊様へ対するもうそれこそ噛んで含める様な、今日ご理解ご霊前で頂きます一部の事を申し上げますとね。
春の花秋の紅葉又は夏の厳しい暑さとか、冬の雪軒霜の朝と言った様な厳しい事。四季を通じてうつし世に、それがあるように又かくり世においても然りだという事を頂くですね。うつし世この世においても、人間がやはり暑さただ春とか秋とかという、結構という事だけではなくて、やはり暑い寒いも味合わせて頂かなければならない。それはいかにも、逆愛のようである。愛の反対の神様は何でこんな冷たい、何でこんな暑い思いをさせなさるだろうかという事もあるけれども。
それが逆愛ではなくて、真実の愛であるという事を、分からせて頂くというのも、信心頂いておるおかげであって、身振りがあるおかげで、私は今日はご心眼に、あの三味線のあのばちを頂いて、ほれでこう弾いてる所を頂く。ばちという事は、まぁ仏教とかキリスト教的にいうと、あの罰をかぶると。お道では罰という言葉がないけれども、まぁめぐりによって、お互いが難儀をしておる、苦しむならその苦しいとか、難儀のおかげでね、それが鳴り響くと仰る。そのおかげで。
難儀のあるおかげで信心が出来ます。難儀のおかげで本当の事が分からせて頂く、鳴り響くほどしのおかげというご理解を、もう懇々と頂くんですよね。まぁ時間はわずかですけども、御霊の世界でのこの時間というものは、それこそ三部経をあげる時間ぐらいなこっちゃない。もう懇々として噛んで含めるように、御霊様方へのお悟しがあるご様子を拝ませて頂いてね、有り難いなぁ真心を持って成程、目に見える所より目に見えない所を大事にさせて頂きながら。
遺族の者が目に見えない御霊様への、この様な奉仕の事と言う事が、本当に仇や疎かには出来ないなと言う事を、こりゃ度々の事ですけれども実感いたします。愈々これは霊肉共に、信心のお徳を頂いて、愈々私共も安心のおかげを頂くなら、御霊様も又安心の御霊として愈々、おかげを頂いて下さるようなおかげを頂かせて頂く為の霊祭であります。今日はそういう意味で、本当に有り難い霊祭を奉仕させて頂いたわけですね、おかげを頂きまして有り難うございました。
今日の御霊様のあのお喜びのご様子が、あの花の色々の中にありますね。御霊様があの白い小さい花は、あれはままになるというご理解を何時も頂きますね、あの米つつじみたいな花ですね。そりゃ勿論中へ安心の紫の花が点々として。勿論合楽の信心と言われる、菊の花を中心にね、だいたいの形はあの松の形で整えてあると言った様な、まぁそれから、今日の御霊様のお祭りの内容が、分からせてもらうです。
どうぞ。